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「今はまだ人生を語らず」という歌があったけど、歳を重ねるにつれて、
少しずつ生き方を考える時間が増えていく。
40歳の自分の考えを整理してみたら、こうなった。
◇自分を楽しんでいるか?
「自分を楽しんでいるか?」「自分を楽しむことができているか?」
最近、この言葉が気に入ってる。
自分を楽しめないと、周りの人をハッピーにできない、と思う。
若いときは、がむしゃらに走り続け、その時、その時、楽しかったけど、
今、思うと、その時間やできごとを楽しんでいたのであって、自分を
楽しみきれていなかった、楽しむ余裕がなかった、そういう意識がなかった、
のだと思う。
わかりやすいenjoyではなく、最近、だいじにしたいと思うのは、何かの
イベントの中にいない時の自分。
こんなふうに考えられるようになったのも、無駄ではなかった年月を
経たおかげなのかもしれない。
◇幸せの意識
日々の生活の中で「幸せ」を意識して暮らしているか?
年々、小さな「幸せ」を感じることが多くなってきた。
そんな自分のことが、少しずつ「幸せ」だと思えるようになった。
あたりまえのことだけど、結婚したとか、こどもができた、だけが幸せではない。
幸せとは、何かのイベントだったり、特別な時間のことを指すのではない。
最近、ますます、そう思うようになった。
幸せとは、つまるところ、自分のこころの状態のことである。
何か特別なできごとがあるわけではないけど、少し高い視点からもうひとりの自分を見たとき、
安寧な自分が見えたりする。 その瞬間ではなく、「このごろ」だったり「この1年」だったり、
比較的 長いスパンでの安寧な自分が。
そうかと思うと、休みの日、近くの山や海辺を歩いていて、きれいな花を見つけたり、
リスの親子に微笑んだり。 とても懐かしい気持ちにさせてくれる、大きな夕焼けに包まれたり。
こういう時間の流れとか、自分のこころとか、自分のまわり、ぜんぶ、幸せだなぁ、と感じることがある。
ささやかなことかもしれないけど、こんな感じも、じっくりと味わうことができるようになった。
環境も、健康状態も、時間的な余裕もたいせつなことだと思うけど、やはり、たいせつなのは、こころの持ち方
なのだと、改めて思うようになった。
◇内面的なことを見つめているか?
神父さんに、こういう話を聞いた。
ある人が、バラの花を見て涙が止まらなくなった時、バラの花の美しさに感動したからではなく、
「自分は(バラの美しさを通して)こんなにも神様に愛されている」ということを実感した。
バラの花の外見の美しさではなく、神に愛されている「内なる自分」を実感したからこそ、
涙が止まらなかった、という話。
クリスチャンの方にとっては、あたりまえの話なのかもしれないけど、とても印象的な話だった。
映画や小説に涙するとき、もしかしたら、内なる自分に接しているからなのかもしれない。
涙まで流さないにしても、ほんとうの自分に出会える瞬間、自分を取り戻せる瞬間って、どんな時なんだろう?
大きな海と青い空を、自分の心を通して見たときは、どうだろう?
満天の星を眺めて、思うことは何だろう?
そういえば、CMの試写を見て、涙ぐむことが多いのは、どうしてだろう。
それまでの苦労が頭をかけめぐって、じ〜んと来てるわけではない。
広告の神様に愛されてる自分を実感しているからだろうか。
◇感謝の気持ち
歳を重ねるにつれて、まわりの人だけでなく、自分の環境とかこころの状態に感謝することが多くなった。
極端な話、今日まで生きてこられたことに感謝で。
こういうコトを考えるようになれた、これまでの人生に感謝。
「感謝」の先にあるものが「幸せ」であることが多いような気がする。
「感謝」の瞬間そのものが「幸せ」であることも多いと思う
少しだけ「感謝」のセンサーを強くしたら、いいことしか起こらないような気がする。
◇大きな視点で見てみたら、、、
大きな視点で見てみたら、時間や、人生や、人と人のつながりっておもしろい。
この瞬間にも、生まれてくる赤ちゃんがいて、初めてキスした若い二人がいて、
結婚式をあげてる人もいて、魚を獲ってる人もいて、ボランティアをしている人もいて、全速力で走っている人
もいて、、、。 同じ時間に、この空の下で、たくさんの人が、いろんなことをしている。 いろんなことを
考えてる。 笑ってる人がいれば、泣いてる人もいる(明日になれば逆になってるかもしれないけど)。
一生のうちで、いろんな瞬間が訪れ、いろんな人に出会う。
一生のうちで、会うことができる人は、ほんの一握りでしかないけど、こんな瞬間の中で、人と人との人生が
クロスするのだとしたら、とても、おもしろい。
このクロスが、短い人もいれば、いっしょに暮らすようになる人もいる。 何十年も、かけがえのない友だちで
いることもできる。
時には、こんなふうに、誰かとのつながり、まだ見ぬ誰かとの出会い。
そして、一生、出会わないかもしれない人のことを考えたりする。
◇神は細部に宿る。
「Number」(592/サッカー特集)の岡田Fマリノス監督インタビューを読んで
「神は細部に宿る」ということばに出会った。
細部は目に見えないけど、勝負の分かれ目は、その細部で決まる、という主旨。
ストイックな性格なので、一瞬で、この言葉に共感した。
目に見えることもたいせつかもしれないけど、目に見えていないことで決まることも多い。
目に見えないことは、決してむだなことではない。 そんなふうに考えている。
これは、仕事に限ったことではなく、公私の「私」でも言えること。
むしろ、「私」の部分の「目に見えないこと」をたいせつにすることの積み重ねが、
人間力を高めることなのかもしれない。
「目に見えないこと」をたいせつにしている人が、報われる時代、社会であってほしい。
◇健康のこと、こどものこと
娘は生まれつきの重度の喘息で、小さいころはたいへんだった。
県立のこども医療センターで専門的な治療を受け、入院もしょっちゅう。
この病院は、重度の患者が多く、病院の中に学校(院内学級)まで併設されている。
生まれてから、病院の中で成長し、この学校に通い、悲しいことだが、
自分の家で暮らすこともなく、病院の中で亡くなる。 そういう子もいる。
自然に与えられたもののたいせつさに気づくのは難しい。
たとえ、気づけたとしても、その気持ちを持ち続けることって、もっと難しい。
健康やこどもも、そのひとつかもしれない。
当時、娘のことで悩んでいたとき、自分(親)より(確実に)早く亡くなるお子さんをお持ちの
お母さんに「がんばってくださいね」と励まされたと、家内に聞いたことがある。
おかげさまで、娘も大きくなり、喘息もかなりよくなった。
自分は、足の骨折や鼻のポリープの手術で短い入院生活を送った。
こどもをたいせつに思う気持ち、健康に感謝する気持ちを、今でも強く持っていられることに感謝。
だからと言って、今できることは小さなことでしかない。
街角の募金活動や、ボランティアの支援とか、献血くらい。
でも、娘が自然にボランティアに興味を持ってくれたことは、とてもうれしいこと。
どこまでがんばれるのか、見守っていこうと思うけど、最近、点字を勉強している。
◇伊勢 正三 さん
敬愛する伊勢 正三さんの曲は、「いきかた」のヒントがいっぱい詰まっている。
直接的なことばでなくても、生き方を見つめ直すきっかけとなったエッセンスが、たくさん
あふれている。
いい歳のとり方をしてきたんだな、ということがよくわかる。
ささやかだが、自分も少しだけいい年月を経てきた、と、彼の曲を聴いて、確認できた。
◇潔い敗者に惹かれるのはなぜだろう?
真田 幸村、河井 継之介、九戸 政実に惹かれる。 敗れるとわかっていても、自分の信念のために、
周りの人のために、潔く戦ったところに大きな人間力を感じる。
「日本人には敗者の美学を重んじる遺伝子が受け継がれている」と言った脳科学者もいるけど。
雑賀 孫市にも惹かれる。 時の権力(織田 信長)に立ち向かった勇気と知恵に惹かれる。
皆、尊敬する人物というよりも、共鳴する人物といったところだろうか。
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