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世界の中心で愛をさけぶ

いまさら本屋さんで買うのは、ちょっと照れるかもしれませんが、いいんじゃないかな、別に。
意外と古本屋さんにも、出てこないんだよね。買った人は、みんな、愛蔵版にしているのかな。


◇あらすじ

高校生のサクは、中学二年のとき、アキに出会う。同じクラスの学級委員同士。それ以上の
関係ではなかった。しかし、同じ高校に進学し、いつしかアキを意識し始める。
自然に付き合い始める二人。

サクは、おじいちゃん子だった。
サクのおじいちゃんは、若いころ、大好きだった人がいたが、結ばれることなく、
その女性は、若くして亡くなってしまった。
ある夜、おじいちゃんは、サクに、その人の骨をいっしょに盗みに行ってほしい、と 打ち明ける。

無事、骨を手に入れたのもつかのま、こんどは、おじいちゃんから、「自分が死んだら
自分の骨と、彼女の骨をいっしょにまいてほしい」と頼まれるが、サクは承知する。

サクとアキは、幸せだった。
二人で無人島にキャンプに行く、という冒険もあったものの、不器用な二人には
ウォークマンの「声の交換日記」がとても似合っていた。
でも、突然、アキが白血病でたおれてしまう。

楽しみにしていたオーストラリアへの修学旅行にも行けず、ますます病状が悪化していくアキ。
それでも、二人は決死の覚悟で、病院を抜け出して、オーストラリアに行こうとするが、搭乗手続きの直前、
アキが倒れてしまう。
やがて、死を迎えるアキ。サクの喪失感は、とてもとても大きく、立ち直りのきっかえさえつかめない。
そんなサクを慰めるおじいちゃん。昔、自分も大好きな人を亡くしたおじいちゃんは、サクにじっくりと
生と死、そして、愛について語ってくれた。

サクは、喪失感を癒せないまま、アキの両親とともに、オーストラリアに出かける。
アキが好きだったアボリジニの聖地で、アキの骨は風に舞って、見えなくなった。

映画版にもテレビ版にも大人のサクが出てきますが、原作は、あくまでも、高校生のサクとアキの
物語です。テレビ版は、1987年の設定でした。

◇感想文

予想よりもシンプルな純愛ストーリーでした。おもしろかった。
でも、320万部って言われたら、ちょっと疑問があります。おもしろかったけど、やっぱりブームに
押された感は、あると思います。100万部超えてからは、すごかったもんねえ。
これだけ売れたのに、古本屋さんに行っても、あんまり見かけないのも、少し不思議です。
みんな愛蔵版にしてるのかなぁ?まわし読みしてるのかなぁ?

とは言え、ブームになりすぎたことで、この作品の価値が下がるわけではありません。
ともすれば、感傷的な一面が強調されて伝わっていますが、男性にも、中年の方々にも
読んでいただきたい作品です。

あと、余談かもしれないけど、主人公の二人の会話って偏差値が高いなあ〜と、変なところに
感心しました。ややもすると、ちょっと理屈っぽいというか、優等生的な感じがしました。
(学級委員の会話って、こういう感じなの?)
ま、ピュアととれなくもないのですが。少なくとも、ボクは、高校生のときは、あんなにかっこいい
会話を彼女としていたとは思いません。(大学生になっても、してなかったなぁ)

話が横道にそれちゃいましたね。本題に戻りましょう。

個人的には、サクのおじいちゃんのことばの重みが好きでした。
特に、アキを失って、茫然自失のサクを慰めるおじいちゃんのことばは、しみました。

「人を好きになるから、その人の死がつらい。悲しみも人を好きになる大きな感情の一面である」、
「人生の美しさは、実現しなかったことに対する思いによって担われている。実現しなかったことも、
 美しさとして本当はすでに実現している。だから人生は美しい」、
「人の死は、悲しくつらいが、悪い感情ではない。われわれを善良な人間にしてくれる人生の肥やしである」、
「自分が彼女より先に死んでいたら、彼女が悲しんでいた。自分があとに残されることによって、彼女の
 悲しみを肩代わりできた。そうやって、彼女を生きることもできる」

特に、いちばん最初のことばは、新聞で見た(著者の)片山 恭一さんのインタビューにも出ていました。
まだボクの中では、完全に消化できていないけれども、今後、極めていきたいテーマのひとつです。

サクがおじいちゃんのことばで、どこまで救われたのかは、あえて描かれていなかったけど
読者は、サクのおじいちゃんのことばで救われたのではないでしょうか。
おじいちゃんが、「アキの死」の意味を、そして、この作品のテーマを、読者に語りかけていたのだと思います。

あと、サクの喪失感、ぬけがらのような心がオーバーだと思う人もいるかもしれないけど、
それほどひとりの人を、本質的に想えるのは、幸せなことだと思う。
相手を失うことにならないまでも、相手のためなら、何でもできそうな気がする。
そんな感情を抱いたことがありますか?
でも、親がこどもに抱くそれとは、やはり違うものだと思う。

コメント 世界の中心で愛をさけぶ(小学館文庫)
◇おまけ1

テレビ版の「世界の中心で愛をさけぶ」も、全11回ちゃんと見ました。
映画版が原作の「その後」のお話(大人になったサクとサクを愛する女性のお話)
だったのに対し、テレビ版は、原作の時代(=高校生のサクとアキ)を中心に
描いていました。そういう意味では、原作に忠実だったのだけど、原作とテレビ版には
大きな違いが三つありました。

その1:原作では、大人のサクは、最後にちらっと出てくるだけでした。
 サクの愛する女性も、最後のシーンで、同じくちょっと登場したにすぎません。

 しかしながら、テレビ版では、17年後のサクとサクを愛する女性(彼女もアキというなまえ)
 をもうひとつの話の柱にしていました。
 こちらの愛は、サクの魂が救われるかたちでハッピーエンドを迎えられて、めでたしめでたし。

その2:原作は、ほとんどサクとアキしか出てきません。あと、おじいちゃんが
 重要な役割をはたしていた以外は、サクの友だち(龍之介)とアキの両親が
 ちらっと出てくる程度。

 一方、テレビ版は、11回放映という事情もあって、登場人物が大幅に増えていました。
 上記のように、17年後のサク以外に、サクとアキの友だち、サクとアキの担任、サクとアキの両親
 など、二人を支えるキャラ、見守るキャラが物語を彩っていました。
 とは言え、あまり散漫な印象はなく、キャラの増員は成功だったと思います。

その3:私がいちばんこだわったのは、このポイントです。
 原作では、アキが死んだ後のサクを癒す存在であるおじいちゃんが、テレビ版では、前半で
 あっけなく亡くなってしまったのです。

 「おいおい、じゃあ、おじいちゃんの役割は(テレビ版では)誰が果たすのよ?」と
 ボクは、少し驚き、少し不安になりました。

 結局、テレビ版では、誰かがおじいちゃんの役割を果たしたわけではありませんでした。
 でも、高校生のサクにサクの父親が、34歳のサクにアキの父親が、それぞれの意味のある役割を果たしたのでは
 ないかと思います。

 そんなこんなで、原作とテレビ版は、当然、いくつかの違いはありましたが、テレビ版は、テレビ版で
 もうひとつの「セカチュー」の世界を描ききったのではないかと思います。
 最終回の決着のつけ方もよかったです。
 ないものねだりだろうけど、11回ではなく、5〜6回くらいでやってたら、スピード感もあって、もっといい
 感じに仕上がったのではないかな。

 あっ、そうそう。テレビ版の監督って、誰がやっていたか、ごぞんじですか?
 「TRICK」などでおなじみの堤 幸彦監督なんですよ。
 堤さん曰く「これまでは、自分が演出しているとわかるようにしごとをしてきたけど、セカチューは、あえて
 黒子に徹してみた」と。なるほど、おっしゃる通りの演出でした。


◇おまけ2

「小説読むほどじゃないかも」とか「ストーリーだけ知りたい」とか
「マンガになるんじゃないの」とか思ったアナタ。
そんなアナタには、コレがあります。

「世界の中心で愛をさけぶ」
フラワーコミックス スペシャル(作画:一井かずみ、小学館)

要するにマンガ版です。全一巻です。500円です。100万部突破です。
マンガ好きのボクは、もちろん読みました。
原作にかなり忠実でした。ストーリーを追う分には、よくできていました。

◇おまけ3

ボクは、本を選ぶとき、けっこうタイトルで選んだりします。
「世界の中心で愛をさけぶ」というタイトルを初めて見たとき、「いいタイトルだなぁ」と思ったわけです。

「でも待てよ。このタイトルって、何かに似てないか?」と考え、すぐに思い当たりました。
「そうそう、エヴァンゲリオンの26話のタイトルに似てるんだ」

そうです。エヴァンゲリオンの26話のタイトルは「世界の中心でアイを叫んだけもの」なんです。

でもね、このタイトルすら、ハーラン・エリスン著の「世界の中心で愛を叫んだけもの」(ハヤカワ文庫)から
来てるんだろうな、と思うんですが、、、、、。
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